LOGIN旧浄水施設へ続く道は、地図で見るほど素直ではなかった。
神崎蓮たち三人は東京側の拠点を出てから、崩壊した住宅街を避け、使われなくなった地下設備と倉庫街を繋ぐように南西へ進んでいた。同行している防衛班は、元警備員の伊藤と、以前は建設会社で働いていた宮本の二人だった。
朝から歩き続けているが、進んだ距離は思ったほどではない。
大きな道路はAIの巡回経路になっている可能性が高く、開けた場所を横切るたびに何分も周囲を確認しなければならない。使えると思った地下道が瓦礫で塞がれていることもあれば、地上へ出た途端に遠くの無人機を見つけ、数百メートル戻ることもあった。
「地図だと、もう着いててもおかしくないんだけどな」
蓮が低いコンクリート壁の影へ身を寄せながら言うと、伊藤が手元の地図を見て苦笑した。
「世界が壊れる前の地図ですからね。道路があるって書いてあっても、本当に通れるとは限りません」
第41話 偽物の勇者『境界切断』 人工音声が告げた直後、M-01の剣から放たれた黒い線が、旧実験区画前の空間を一直線に裂いた。 蓮は避けなかった。 正確には、避けるという判断を取る余裕がなかった。 機械が構えを完成させた瞬間、その一撃がこれまでの模倣とは明らかに違うと分かったからだ。切断する対象を大雑把にまとめていた以前の攻撃ではない。蓮が《境界断ち》を使う時と同じように、物質と空間、魔力障壁とその外側を別々に認識した上で、一つの線へ束ねている。「冬真、真正面は無理だ!」「言われなくても分かる!」 二人は同時に左右へ散った。 次の瞬間、黒い切断線が二人のいた場所を通り過ぎ、背後の岩壁へ食い込んだ。 轟音はなかった。 むしろ、その静かさが不気味だった。 厚い岩盤は爆発したわけでも砕けたわけでもなく、最初から二つの別々の物だったかのように滑らかにずれ落ちた。さらにその向こうに設置されていた古い防護板まで同時に切断され、遅れて金属が地面へ落ちる音が響く。 蓮はその断面を見て、思わず奥歯を噛んだ。「……近い」 冬真が問い返す。「何がだ」「俺の《境界断ち》に。威力だけじゃなくて、切り分け方まで近づいてる」 認めたくない。 けれど、否定しても仕方がない。 昨日までのM-01は、境界というものを無理やり引き裂いていた。だから攻撃は強くても粗く、蓮から見れば「似ているだけ」の技だった。 今の一撃には、選別がある。 切るべきものと、切らなくていいものを分けようとしている。 そこまで学んだ。 ほんの数回の戦闘で。「気分悪いな」 蓮
第40話 機械の勇者 美咲を迎えに行く朝、神崎蓮は目覚ましが鳴るより二十分も早く目を覚ました。 眠れないだろうと思っていたわりには、意外なほど深く眠っていたらしい。身体を起こして肩を回してみると、連日の戦闘で積み重なっていた重さが少しだけ抜けている。美奈から「最低でも六時間は寝ろ」と言われた時には長すぎると思ったが、今となっては素直に従っておいて良かったと認めざるを得なかった。 もっとも、それを本人へ言えば今後も何かあるたびに寝かされそうなので、黙っておくことにした。 まだ薄暗い医療保管区画では、すでに何人かが起きていた。高城は地図を見ながら伊藤と最終経路を確認しており、冬真は少し離れた場所で千尋から斥候報告を聞いている。 蓮が装備を整えていると、背後から正彦が声をかけた。「剣、忘れるなよ」「さすがに忘れないよ。小学生の遠足じゃないんだから」「お前は昔、修学旅行の日に財布を忘れた」「あれは中学だろ」「覚えてるなら忘れるな」 父親というものは、二十二年ぶりに会った息子に対しても、驚くほど昔の失敗を覚えているらしい。 蓮が苦笑しながら剣を腰へ固定していると、今度は由美子が保存食と水を持ってきた。「これも持っていきなさい」「もう配給分もらってるよ」「途中で長引いたらどうするの。美咲だってお腹空かせてるかもしれないでしょう」「だったら美咲の分だけでいいって」「あなたの分も入ってるの」「母さん、俺もう四十年以上生きてる計算になるんだけど」「私から見たら二十八でしょう。何歳だろうと息子は息子よ」 どうやら異世界で二十二年生きた程度では、母親の扱いは変わらないらしい。 蓮は少し呆れながらも荷物を受け取った。「帰ってきたばかりなのに、また出ていくの
第39話 再会まであと一日 神崎蓮が父と母の姿を自分の目で確認できたのは、美咲との通信が切れてから一時間ほど後のことだった。 旧山岳地下備蓄庫の医療保管区画へ続く通路には、人工魔法型との戦闘で破壊された機械兵がいくつも転がっていた。共同捜索班は高城を先頭に慎重に進み、閉ざされていた防火扉の前で合図を送った。「こちら外部救助班。神崎正彦さん、聞こえますか」 高城が扉へ向かって声をかけると、内側からしばらく物音が続いた。「合言葉は?」 聞こえてきたのは正彦の声だった。 蓮は思わず笑った。「父さん、そこまで疑う?」 扉の向こうが静かになる。「……蓮か?」「そうだよ」「証明しろ」「さっき車の傷の話しただろ」「それは通信で聞かれている可能性がある」「慎重すぎない?」「お前たちが今までAIに騙されすぎなんだ」 高城が横で小さく頷いた。「親父さんが正しい」「何で俺だけ責められてるの」 結局、正彦が追加で出した質問は、蓮が中学生の頃に母へ隠して買ったゲーム機をどこへ隠していたかという、あまりにもどうでもいい内容だった。「父さんの工具箱の裏」「何で俺の工具箱だった」「母さん、俺の部屋は探すと思ったから」「当時から迷惑な奴だな」「自分の息子に言う?」 内側で何かが外される音がして、重い防火扉が少しずつ開いていった。 最初に見えたのは正彦だった。 蓮の記憶にある父よりずっと痩せ、頬には深い皺が増えている。髪にも白いものが混じり、右腕には応急処置の包帯が巻かれていた。
第38話 美咲、生存『七年もどこ行ってたの、馬鹿!』 無線機から飛び出した怒鳴り声は、地下坑道の硬い壁にまで反響したような気がした。 神崎蓮は受話器を握ったまま、しばらく何も言えなかった。 声そのものは、記憶にある高校生の妹とは少し違う。七年という時間を重ねた分だけ落ち着きがあり、低くもなっている。それでも、怒る時に最初の言葉だけ一気に吐き出し、その後で自分が何を言うつもりだったのか見失う癖は昔のままだった。 人工的に作られた声を、蓮は一度聞いている。 AIは家族の情報を持っている。 美咲に似せた人型の囮まで作った。 だから、声を聞いた瞬間に「間違いなく妹だ」と思ってしまう自分を、蓮は無理やり押さえた。「……美咲?」『だから誰なのって聞いてるの! 今、自分で蓮兄って言ったでしょうが!』「いや、そうなんだけど」『何が「そうなんだけど」よ! 七年よ、七年! こっちは生きてるか死んでるかも分からないまま探して、ようやく帰ってきたって噂を聞いたと思ったら、AIが家族の声を使って罠を張ってくるし、兄貴らしい人が東京で魔法使ってるとか意味分からない話まで流れてくるし、私がどんな気持ちだったと思ってるの!』 蓮は思わず受話器を少し耳から離した。 高城が横で、小さく笑っている。 冬真も、いかにも興味深そうな顔で会話を聞いていた。「元気そうだな」 冬真が小声で言う。「うるさい」『何? 今、誰かいるの?』「いる。結構いる」『じゃあ全員聞いてるの!?』「たぶん」 通信の向こうが数秒だけ静かになった。『最悪』 今度は声が小さかった。
第37話 勇者と魔王 夜が明ける少し前、山の冷気は昨日よりも強くなっていた。 簡易野営地では、まだ空が青くなる前から人が動き始めている。焚き火は目立つため最小限に抑えられ、温めた水を金属製のカップへ分ける程度しかできなかった。蓮は固い保存パンを口へ押し込みながら、何度目になるか分からない地図を見ていた。 北側坑道。 医療保管区画。 父と母がいる場所。 その外側には、美咲を名乗る短い信号が出た地点もある。 昨日までは、それらを見るだけで身体が先に動きそうになっていた。 今朝は違った。 早く行きたい気持ちは何も変わっていない。それでも、地図を確認し、食事を取り、魔力を整え、剣の状態を確かめることができている。「ずいぶん大人しくなったな」 すぐ隣で同じように保存食を食べていた冬真が言った。 蓮は顔を上げる。「何、その言い方」「昨日までなら、夜明け前に一人で坑道へ向かっていてもおかしくなかった」「俺を何だと思ってるんだよ」「だから、家族が絡むと判断が雑になる男だと言ってる」「それ、もう何回目?」「直るまで言う」 蓮は苦笑しながらパンを噛んだ。「昨日、父さんに怒られたからな」「親の言うことは聞くのか」「高城よりは」「本人の前で言うなよ」 少し離れたところで装備を確認していた高城が、聞こえていたらしく顔を上げた。「聞こえてるぞ」「ほら」 冬真が笑う。「お前、意外と性格悪いな」「意外なのか?」「もう少し無口で怖い魔王だと思ってた」「そ
第36話 魔王は人を救う 北側坑道の外から送られてきた《美咲》という短い信号は、共同捜索班の全員を一度立ち止まらせた。 今すぐ確認へ向かいたい蓮の気持ちは強かったが、父・正彦と母・由美子が坑道内部に生存していることも分かっている。さらに内部には二十体以上の機械兵と人工魔法型が侵入し、外側では美咲を名乗る何者かが信号を送っている。どちらか一方だけを見れば簡単に決められる状況だったかもしれないが、家族三人の命が別々の場所にある以上、蓮にとってはそれが一番難しい。「まず、信号の発信地点を絞る」 高城が地図を広げながら言った。「北側坑道へ突入する班と、外周を確認する班を完全に分けるのは危険だ。敵の数が多すぎる。発信地点が近ければ、全体で移動しながら確認する」 蓮は地図の上にある北側坑道の印を見つめた。「父さんたちは、しばらく持つって言ってた」「ああ。だから、その言葉を信用する」「でも負傷者がいる」「医薬品が減っているだけで、今すぐ命が危ないとは言っていない。焦って正面から入って全滅したら、それこそ助けられない」 蓮は頷いた。 自分でも分かっている。 分かっているからこそ、胸の奥に溜まる焦りをどう扱えばいいのかが難しかった。 冬真は少し離れた場所で、斥候から新しい報告を聞いていた。やがて高城たちのほうへ戻ると、地図の南側を指す。「美咲を名乗った信号は、ここから南東へ八百メートルほどの尾根付近から出ている可能性が高い」「近いな」 蓮が言う。「ただし、同じ方向に熱源反応が複数ある。人間かもしれないし、機械かもしれない」「罠の可能性も残るってことか」「当然だ」 冬真はそこまで言い、少しだけ蓮の顔を見る。「それでも行きたいんだろう」